☀つぶやき☀ ~不適切保育~
昨今、保育園での不適切保育が取り沙汰されている。
今だけでの事ではないと思うが、グループ園での研修にて議題に上がった。
私の考えを述べる。
国は、虐待やネグレクト等、のガイドラインを決めて線引きし、
指導要領の中に組み込み、各園での自助努力に任せている。
保育者(教員)の経歴や育った環境、地方、年齢や時代、家庭の教育方針などで大きく虐待の概念が違う。
受け取る側の概念も違う。
ガイドラインだけでは、決して無くならない。
先生として、人として、それが誠意ある対応なのか、それが本当に子ども達の為になるのか、
強いては日本の未来の為になるのか、自分で考え、行動出来る人材が育っていない。
「自分で考え行動出来る日本人がいない」
そこに根本の問題がある。
戦後教育、同調社会のひずみが正に現れている。
余りにも画一化されて、横並びの教育を受けてきたからこそ、枠から外れた事をする子が目立ってしまう。
それを許せない大人が、その子を排除していく。日本とは、いつからこんなに排他的になったのか。。
偏差値教育、学歴社会がいじめや不登校、若者の自殺者世界一など、数多くの汚点を残している。
認知能力より、非認知能力。今に始まった事ではない。
人として、人間としての保育観、道徳観、倫理観を教育していく、、
人間力を培っていける、保育・教育環境、職場環境の再構築。
保育の技術、知識などを詰め込み頭でっかちになるのは愚の骨頂。
不適切な保育の線引きをするよりも、「昔からある、日本人としての倫理観や道徳観」を育てられる
教育システムの再構築。
保育の現場で一番大切なのは、「育ち合いの心」
子どもも人格を持った一人の人間として。。
日本では、7歳までは「神の子」と呼ばれる。大人は子どもに教えてはいけない。
面倒を見る等という考えは愚の骨頂、こちらが学びの姿勢でいる、常に成長させてもらっている。
保育も子育てもまさに「育ち合い」の感覚を忘れないこと。
保育園の存在意義とは、就労支援などという表面的な役割でなく、
親も先生も子どももみんな成長できる、「育ち合い」の場で無ければならない。
愛国心などというきれい事ですぐ片付けられる問題でも何でもなく、
教育の見直しがこの国にとって喫緊の課題。
現場で日々、往々にそう感じる。
これらの事は、日本の戦後教育で70年も80年もかけて作られてきたひずみであり、
直ぐには解決しない。
まず、人々の多くがこの問題の根本に気付かない限り。。
日本人は「勤勉で、真面目で、嘘をつかず、利他の精神を持つ」
日本だけを賛美するつもりは到底ないが、
日本人としての生まれたからには、たとえ偽善者と呼ばれたとしても、
日本人の道徳心と倫理観は失いたくない。
私の師匠がいつもつぶやく。。
「保育園は、保育だけの場ではない。教育の場である。
保育者ではない。教育者である。
保育士の振る舞いは子どもの人格形成に大きく影響する。
それなりの覚悟と根気、そして誇りを持たなければ務まらない」
我々が日々出来る事はある。
微力であるが、無力ではない。
常に”想い”を込めて子ども達と接したい。