☀つぶやき☀ ~学校教育より家庭教育~
少し古くさいかもしれませんが。。
「教育」を大きなくくりにすると、「学校教育」、「地域教育」、「家庭教育」に分かれます。
日本ではこの三つが伝統的な教育の柱となってきました。
「学校教育」とは、その名の通り、学校での教育。
「地域教育」とは、道場や藩校など、地域での学びの場。
「家庭教育」とは、両親も“我が子の先生なんだ”と自覚して日々の生活をすること
高度成長期以降、このうち家庭と地域教育が薄れてしまいました。
昔は、子ども達の周りに子ども達を諭し指南してくれる師範、講師が沢山いました。
学校の先生だけでなく、親父、祖父母、寺の住職、道場(書道、剣道、柔道等)など近くの大人がみんなで子ども達を見守り、諭し、教育してきました。
勉学だけではなく、「人生における苦難や困難の乗り越え方」「人間としてのあり方生き方」を周りの大人全員が師範・模範・規範となり、自然と子ども達は「生き方」「生き抜く力」を学んで行きました。
しかし、成長期以降、核家族化やネットの普及等により人間同士の関係がみるみる内に希薄化し、その伝統的仕組みは、都市部を中心にほぼ崩壊してしまいました。
昨今、「教育」と言えば学校教育だけにフォーカスされていますが、学校教育だけでは、子どもは健全な成長をたどることはできません。勿論先生方は愛情を持って子ども達の教育を行っていますが、親子の愛情ほど深く尊い物はありません。家庭は子どもにとって基盤であり愛着形成、教育の根幹です。家庭教育がうまくいっていないのに、学校教育は成り立たないのです。
まずは家庭教育です。父母が先生になる。昔から語られる「清掃 応対 進退」の心を我が子に伝授する。普段の生活で意識する。
清掃 身の回り整理整頓 掃除
→ぞうきんがけ、窓拭き、洗濯物畳み、おもちゃの片付け 等
整理整頓をしている内に、物事の取捨選択や優先順位の決定などを学んでいく
応対 挨拶返事
→挨拶、返事をきちっとする事により、人と人との円滑な関わり、コミュニケーション
を学んで行く
進退 けじめ
→遊びの時間、食事の時間、風呂の時間などメリハリをつけて
進退(始めと終わり)を意識して生活することによりけじめの付けられる人間になる
親は家庭での先生としての自覚を持ち子育てに勤しむ。人間として立派な人が身近にいるという環境を作る。日々の積み重ねが勉学が出来るだけではない、偏差値だけではない、一人前の人間になる礎をつくっていくのが家庭教育です。習い事や塾、保育園、学校任せにしない、地道な家庭教育を日本人は思い出すべきだと思います。
当保育園では、3~5才児の異年齢教育を実施しています。異年齢保育は江戸より薩摩藩で行われていた郷中教育を起源とするとも言われています。
年長が年少の面倒を見る。教え、諭し、そして助ける。
教える事により「自覚が芽生え」、「自己肯定感・自信が育ち」「恩返しや思いやりの精神」を学んでいきます。
当園では、お勉強(読み書き計算等認知能力)の時間を設けておりますが、上記の様な非認知能力(数字では計れない能力)の鍛えを意識し、何より「人間力」「生きる力」の成長を促して参ります。